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ECM:Then and Now #3 キース・ジャレット「ケルン・コンサート」の真実 奇跡の名演が生まれた一夜のドキュメント

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※1970年代のキース Photo courtesy of ECM

1975年1月24日,ケルン市立歌劇場で行われたキース・ジャレットのソロ・コンサート。この夜,完全即興によって生まれた『ケルン・コンサート』は,発売後世界中で愛されるアルバムとなり,今なお歴史的名盤として語り継がれている。しかし,奇跡的な演奏の背景には,ピアノの手配ミスや体調不良,キャンセル寸前の緊張感といった数々の困難があった。伝説の夜から半世紀を経た今,この名演がどのようにして生まれたのか,その舞台裏を紐解く。

文:稲岡邦彌

♪ 『ケルン・コンサート』 50周年

50年前の今日,1975年1月24日,キース・ジャレットがドイツ・ケルン市のオペラ劇場でコンサートを行い,のちに名作『ケルン・コンサート』として知られるようになる演奏がライヴ収録された。会場は,Oper Köln(オーパー・ケルン),ケルン市立歌劇場,前身は1872年に開設され,1902年に市立歌劇場となった。旧歌劇場の建物は第2次大戦で破壊され,現在の建物は1957年に再建されたもので,座席数1350,とある。歌劇場のオフィシャル・サイトを開くと,ジャケット写真とともに,「50 Years Köln Concert」とタイトルされた記事が目に飛び込んでくる。

1975年1月24日,金曜日の夜10時,ケルン市立歌劇場ではプログラム通りアルバン・ベルクの『Lulu』が終演。続いてその夜は特別なコンサートが催された。アメリカのジャズ・ピアニスト,キース・ジャレットのソロ・リサイタル。主催は若きコンサート・プロモーターのヴェラ・ブランデス。その夜の出来事は今や伝説と化している。「私は当初から深夜コンサートをやりたかった」と当夜を振り返るヴェラ。「キース・ジャレットはケルン市でいちばん権威のあるホールで演奏することになっていました。1,350席を誇るオペラハウス。しかし,コンサートはキャンセル寸前の事態に陥ったのです。キースのために予約しておいたピアノ,ベーゼンドルファー・インペリアル(注:ベーゼンドルファー・インペリアルはベーゼンドルファー社製の最大,最高級のピアノで,標準の88鍵にさらに低音部にオクターブのスペシャル・キーが付属している)はカバーがかけられ通路に置かれたまま。リハーサル室にあった小型の年季の入ったベーゼンドルファーがステージに用意されていたのです。そのピアノは摩耗が激しかっただけではなく,高音部は甲高く低音部は鈍いという音質上の問題も見つかりました。しかし,調律師からインペリアルの移動には4万マルク(約500万円)の保証金が必要と言われ断念せざるを得ませんでした」

ケルンコンサートCDジャケ
『ケルン・コンサート』(ECM)