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その人柄と音楽を愛した多くの人が別れを惜しんだ“鈴木央紹 お別れの会”

  • 2025年03月19日
  • NEWS

鈴木央紹
※ステージ上の遺影と彼のサックス,衣装

昨年12月28日に亡くなったサックス奏者,鈴木央紹(享年52)のお別れの会が2月12日,東京・六本木のビルボードライブ東京で執り行われた。活動を中止していたルパンティック・シックスが,昨年5月に活動を再開した場所である。会の進行は1部と2部に分けられ,1部は主にファン(アーティストや評論家などの関係者も多数),2部は親交のあったミュージシャンや関係者向けであったが,鈴木の人柄と音楽を愛した多くの人で和やかな雰囲気に包まれた。受付やロビーには関係者や音楽専門誌から寄せられた写真が多数貼られ,ステージ中央には鈴木の写真とともに使用していた楽器やスーツが,献花台には埋め尽くすほどの花束が溢れていた。ルパンティック・シックスとフジコチャンズのステージに,生前の鈴木の音源が“共演”する場面では,大泣きする人も。
長らく体調を崩していた鈴木の最後のステージとなったのは亡くなる3日前(12月25日)。小岩のCochi(コチ)での松島啓之(tp)~守屋美由貴(as)との3管セッション。Cochiのオーナーが体調を気遣い,「座って吹く?」と尋ねたところ,「いや,立ってやる(演奏する)」と,ずっと立ち続けていたそうだ。終演後に鈴木を自宅近くまで車で送り届けた人の話では,鈴木の「今年のステージもこれが最後だな」との言葉を聞いて,翌年の復活を期待していたという。

松島啓之
※ルパンティック・シックスとしてステージに立った松島啓之

「僕より5歳くらい年下だけど,音楽のことも含めていろいろと教えてもらった。恩返しをしたかった」[安カ川大樹(b)]
「私の番組(ラジオNIKKEI「テイスト・オブ・ジャズ」)にも何度か出演いただいた。優しくてまじめで,大好きでした。何でも受け止めてくれる,包容力のある人でした」[山本郁]
「大学の後輩で,大阪時代から共演を重ねた。どんな人よりもお互いに突っ込んだ話ができた。これから彼の本当のすごさを知ってもらえる時代がやってくるはずだったのに…」[井上陽介(b)]
「Tripod(鈴木央紹(ts),井上陽介(b)とのトリオ)でやってこれたことが財産。残念の一言」[大野えり(vo) ]
「かっこいいし,演奏も人間的にも素晴らしい。欠点の無い,“完璧な”人だった」[守屋純子(p) ]
「いつも前向きな人でした。最後の言葉も“大丈夫”でした」[奥様] 

   

(文・写真:常見登志夫)