The Shape of Jazz Media to come.



“We Want Jazz” マイルス・デイビス 全55タイトル一挙リリースの衝撃

小川隆夫×海老名秀治 Talking ‘bout Miles~ジャズの真髄を語ろう

マイルス・デイビスとは何者か? マイルスの登場によって,ジャズの歴史はどう変わったのか? 未だ常人では捉えきれないマイルスの魅力を詳らかにする全55タイトルが,この秋ソニーミュージックから『We Want Jazz』シリーズ第一弾として一挙リリースされた。その根底にあるのは,今なお途切れることのないファンの「We Want Miles」の叫びー。ここでは生前のマイルスと交流の深かった小川隆夫氏と元ソニーミュージックのマイルス担当プロデューサー,海老名秀治氏に豊富なエピソードとともにマイルス・デイビスの魅力を大いに語り合ってもらった。

文:原田和典

“We Want Jazz” マイルス・デイビス 全55タイトル一挙リリースの衝撃
今回の対談は小川,海老名両氏にとって馴染みの深いソニーミュージックの乃木坂スタジオで行われた。手前のLPはこのシリーズ名のモチーフとなった『We Want Miles』だ(撮影:高橋慎一)

-マイルス・デイビスの音楽に惹かれたのはいつですか?

小川 最初に衝撃を受けたのは『マイルス・スマイルズ』(66年10月録音)。それが出た時期だから67年頃,高校生の時です。油井正一さんが深夜にやっていたFM番組の中に,新譜を紹介するコーナーがあって,そこで『マイルス・スマイルズ』がかかったんです。受験勉強をやりながら聴いていたんですが,とにかく「かっこいい」と心を掴まれて,それからマイルスを本気で聴くようになりました。

海老名 僕は『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69年2月録音)に惹かれて,そこからリアルタイムで買うようになりました。『ビッチェズ・ブリュー』は,ケン田島さんが司会のラジオ番組「ミュージックスコープ」で最初に聴いたのを覚えています。あの番組はCBSソニーの提供でした。その後も『ジャック・ジョンソン』(70年2~4月録音)とか新譜はとにかく手に入れて,同時に旧作をさかのぼっていきました。

-その前からジャズは聴いていましたか?

小川 基本的にロックを聴いていましたが,ジャズも家で流れていましたし,オーティス・レディングやサム&デイブのリズム・アンド・ブルースもかっこいいなと思って,いろいろ楽しんでいました。ボサノバもよく聴きましたね。僕がクラシック・ギターを弾いていたので,『ゲッツ/ジルベルト』のジョアン・ジルベルトのアコースティック・ギターの音に親しみを感じて,そこに入っていたスタン・ゲッツのサックスの音も気に入って,ゲッツ単独のレコードも買うようになりました。3枚目に入手したゲッツのレコードがジャズで,そこで初めて彼がジャズ・ミュージシャンなんだとわかったのが1964~65年頃ですね。高校1~2年になるとロックバンドでギターを弾き始めて,ジャズ喫茶に入り浸りになりました。ロック・ギタリストにはジャズ・ギターに憧れるところがあるでしょう。ジャズに深入りするようになったところに,ちょうど『マイルス・スマイルズ』が耳に飛び込んできて「これだ」と思ったわけです。

海老名 僕は65年に横浜の文化体育館で初めてベンチャーズのライブを見ました。この年はビートルズの「イエスタデイ」が出た年で,学校に行っても何にしても周りはビートルズの話題だったけど,僕はエレキギターを買ってバンドを組んで,ベンチャーズを見に行った。それからヤードバーズのエリック・クラプトンに夢中になって,クリームにたまげて,日本で69年にやっと発売された“ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ”(クラプトンがヤードバーズ脱退後に所属)も聴いて。ジャズに関しては…大橋巨泉のラジオ番組「巨泉+1(プラス ワン)」を覚えています。ソニー・ロリンズの「モリタート」を究極だと言っていて,個人的にはそんなものなのかという感じでしたが,マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチェズ・ブリュー』(69年8月録音)によって,ジャズの面白さに目覚めました。