“We Want Jazz” マイルス・デイビス 全55タイトル一挙リリースの衝撃(後編)
- 2023年12月14日
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小川隆夫×海老名秀治 Talking ‘bout Miles~ジャズの核心を語ろう
マイルス・デイビスの音楽の革新性,そして,いまだ謎のベールに包まれたマイルスの内面とは? ソニー・ミュージックからリリースされた『We Want Jazz』シリーズの第一弾を記念して,マイルスの精神性をよく知る小川隆夫氏と元ソニーのマイルス担当プロデューサー,海老名秀治氏が語り合う対談企画の後編。マイルスの復活に誰もが熱狂したあの時代,その真実のストーリーが今,ここに完結する。
文:原田和典
マイルス・デイビスについて熱く語り合う小川隆夫氏(右)と海老名秀治氏。本誌では小川氏がマイルス自宅を訪問した際のとっておきのエピソードも披露する(撮影:高橋慎一)
-海老名さんがCBSソニーの洋楽ディレクターに就任された頃(1980年),マイルスは沈黙期間中でした。
海老名 引退宣言はなかったし,リハーサルをやりだしたという情報は入っていました。上司から「誰を担当したいか」と尋ねられたときに,希望アーティストを3組書いたんです。それがアース・ウィンド&ファイアー,TOTO,そしてマイルス。最初に担当したマイルス作品は『ディレクションズ』(国内盤は81年4月21日発売)でした。未発表録音集ですが,いい写真を使っていて,選曲もまったく手抜きではないし,「これはすごいアルバムだ」と思いました。と同時に,「こういう作品が出てきたということは,いよいよマイルス本人も動き出すのかな」という予感も強くなっていきましたね。
-そして,約6年ぶりの新作『マン・ウィズ・ザ・ホーン』が登場します。
小川 僕は輸入盤を,渋谷のレコード店「JARO」に入荷した日に買いに行きました。発売日に買いに行ったのは,ビートルズの新譜以来です。家に戻る帰りのバスの中で,待ちきれなくなってジャケットの封を切ったことを思い出します。「本当に吹けてるのかな」とか,いろいろ妄想を働かせて,いざ針をおろしてみると,想像していたよりすごく吹けていた。
-国内盤は7月21日に緊急発売されました。
海老名 レコードになる前に,まず,アドバンス・カセットというのがアメリカから(発売元のレコード会社に)来ます。聴くまでは怖かったですが,マイルス独特の音が出てきたときには感激したし,すごく嬉しかったですね。リリースのタイミングが良かったし,アルバムも売れて,10月には来日公演も実現しました。
-このアルバムで初めてマイルスを知るファンも多かったと思いますが。
海老名 新しいファンよりもむしろ,待っていたファンに「マイルスの復活」をしっかり伝えようと考えました。73年,75年の来日公演に来ていた方にも聴いてほしかった。長いブランクでしたから,「もう復活はないのかな」と考えていたファンも多かったでしょうし,僕自身もそう思ったことがありましたから。
-来日公演の頃,小川さんはすでにニューヨークに移住なさっていたんですか?
小川 そうです。僕がニューヨークに着いたのは8月3日ですが,マイルスは6月,7月とクラブやフェスティヴァルに出て,それから日本に行ってしまった。その年の大晦日に「ビーコン・シアター」で開かれたコンサートで,ようやく復帰後のライヴを見ることができました。東京公演に関しては後で映像を見ましたが,足を引きずっていて,音もあまり出ていない印象でした。大晦日の公演は,もうちょっと音に力が入っていて,だんだん良くなってきたなと分かりました。
-海老名さんは,81年の来日公演のほぼ全行程に同行なさっています。
海老名 マイルスは脚を悪くしていて,恋人のシシリー・タイソン(※同年の11月26日に結婚)に支えられて成田空港の中をゆっくりゆっくり歩いていました。東京のコンサート会場が,新宿西口広場。京王プラザホテルとホテルセンチュリーハイアット(現:ハイアット リージェンシー 東京)の間にあった空き地です。吹きっさらしですよ。