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ノーマン・グランツで紐解くアーリー・モダン・ジャズ

ノーマン・グランツ
ノーマン・グランツ

カウント・ベイシー
カウント・ベイシー
Photos Courtesy of William P. Gottlieb/Ira and Leonore S. Gershwin Fund Collection, Music Division, Library of Congress.

文:大村幸則

足繁く52番街のクラブに通い詰めジャズメンと交流を深めたグランツ

1918年にロサンジェルスで生まれたノーマン・グランツは,ウクライナの血を引くユダヤ系米国人。幼いころ両親と共にロング・ビーチに転居した彼は,そこで初めてK.K.K.団が街を行進するところに遭遇し,様々な人種的緊張を目の当たりにすることとなった。このあたりが,ジャズの世界で人種差別を廃絶すべく奔走することになるグランツの原点となったのだろう。中学校を卒業するころ,家族そろって再びロスへと戻り,セオドア・ルーズヴェルト高校を卒業するとロスの証券取引所で働くようになったが,やがてジャズへの興味をつのらせていく。そして,5年ぶりに欧州から帰国したコールマン・ホーキンスが1939年10月11日にニューヨークで録音した4曲のうちの1曲〈ボディ・アンド・ソウル〉を聴いてリアル・ジャズに目覚めたグランツは,その後,西海岸へやってきたレスター・ヤングに感動する一方,ナット・キング・コールと親しい中となった。そして,コールを通じて,後にグランツの将来に大きな意味をもたらすこととなるカウント・ベイシーやアート・テイタムと運命的な出会いを果たす。さらに彼は,デューク・エリントン,ビリー・ホリデイ,ロイ・エルドリッジ,アニタ・オデイなどとも知り合ってジャズへの愛を深めていったが,1942年初頭にはバスでニューヨークを訪れ,足繁く52番街のクラブに通い詰めると共に,ロイ・エルドリッジやジョニー・ホッジズなどと楽しい時を過ごした。